今日は上級者向けへの記事です。
アングロサクソン系は、理屈をこねるのが好き・・・かどうかは分かりませんが、言葉の作りがそうなっているように感じます。話す時に論理整合性を大切にしていますよ、という話です。
例えば、下記の例文があったとしましょう。
昨日、気になってた靴を買いに行ったのね。そしたら、売り切れててもうどうしよーって感じだった!
どうでしょう。自然な日本語じゃないですか?
もう一度見てみましょう。
昨日、気になってた靴を買いに行ったのね。そしたら、売り切れててもうどうしよーって感じだった!
この「そしたら」は果たして接続詞的に論理的に正しいのでしょうか??(日本語としては自然だが)
売り切れて「て」は、売り切れていた「から」じゃないでしょうか?
そして「どうしよう?」という疑問は論理的に正しいのでしょうか?
英語に訳してみましょう。
(イマイチな訳文)
Yesterday, I went to buy the shoes that I was interested. Then they were sold out and I didn’t know what to do!
これでは不自然です。なんというか、子供っぽい、若干支離滅裂な印象を受けます。大人がしゃべるとするとこうなります。
(自然な訳文)
Yesterday, I went to buy the shoes that I was interested – But they were sold out so I was really upset!
買いに行った、「だが」売り切れていた、「なので」「不機嫌になった」。
どうでしょう。これが論理整合性です。
日本語は、
買いに行った、「そして」売り切れていた、「そして」「どうしていいかわからない」。
なので、英語とはずいぶんと文の作り方が違うことが分かります。
英語に訳すのが難しいのは、こういったところも非常に大きいと思います。
冒頭の日本語「アングロサクソン系は、理屈をこねるのが好き・・・かどうかは分かりませんが、言葉の作りがそうなっているように感じます。」も訳してみましょう。
I am not sure about the fact, but Anglo-Saxons seem to like being logical, at least by looking at the structure of the languages.
ちなみに、こういう長い文になると、聞き手は頭から読んでいく時に「ツッコミ」を入れていくことになります。従って、話してはそのツッコミに「(論理的に)答える」といった形で文章を展開していく必要に迫られます。
I am not sure about(何について定かじゃないの?)the fact, but Anglo-Saxons seem to like being (アングロサクソンはどうするのが好きなようなの?) logical, at least by looking at (何を見るとそれが分かるの?)the structure of(何の構造?)the languages.
私は今「言葉の作りがそうなってるように感じる」というのをat least by looking at the structure of the languages(少なくとも、言語の構造を見ると)と訳しました。
これは「真実の程は定かではないが、少なくとも言語を見るとこうだ」という論理的なしゃべり方だということです。
つまり私は、英語をしゃべる際には日本語よりも論理整合性を保つように(無意識的ではあったけれども)気を配っているということです。(また、他のアングロサクソン系もそのようにしゃべり方をします。)
日本語では「アングロサクソン系は論理的にしゃべりたがる(事実は不明)」「言語を見るとそうなっている」ということを二つしゃべる時に、二つの関連性については聞き手の判断にゆだねられています。
英語ではこの二つの論理的な関連性をかなりはっきりと言う傾向があるように思います。
なので、ちょっとした接続詞。この論理的な意味を一瞬考えると、英語でしゃべる際にきっちりとした印象を与えるのに一役買うのではないかと思います。
今日は以上です。
※追記補足
日本語はロジカルじゃなくて、英語はロジカルだ!と言いたいわけではないんです。^^;
例文の「そしたら」も、この文脈ではA→Bへの論理性ではなく、「時間差」のニュアンスなので論理性がないというわけではありません。(英語的には「When I got there」になりますね。)
ただ、日本語をそのまま英語にしようとしても不自然なことがあり、またもちろん逆のことも起こりえますよ、ですから論理性はきっちり考えて話した方が良いですよ。というお話でした。